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スタッフまきば

東日本大震災・被災者仮設住宅訪問演奏

11月28日

早朝6時溝口で待ち合わせ東北道に向けて出発。次の日の29日午前10時から公演のため一日前に出かける。14時、気仙沼、陸前高田の惨状を視察した後、遠野市のボランティアセンターに宿泊する。16時30分到着したが2時間ほどのミーティング、センターの使用上の注意など聞き、そとへ食事などして、あっという間に就寝時間。ボランティアセンターの方は高齢者である私たちに気を使っていただき、寒さ対策に配慮していただきおかげで、みんな十分寝られたようであった。

11月29日 午前9時 釜石地区の「小白浜仮設住宅」に向け出発。

開催が10時。

ボランティアセンターで配布されたボランティアチョッキを着て演奏。

途中スカイツリー音頭を指導して、盛り上がりを見せる。

朝のミーティング朝礼

お昼もままならないまま、釜石「上中仮設住宅」を訪問、

 

すでに参加者が待っている中、あたふたと準備、1時を30分ほど

遅れて演奏。4時を少し回り終演。それでもみなさんは大きな声で歌って踊って喜んでいただいた。参加者のほとんどがお年寄り、仮設住宅の生活は1年半も経過し今では老人施設のようだ。やがて厳しい冬になるというのに二度目の寒さを経験しなくてはならない厳しい状態である。

本来なら広い家に住んでいただろうと思う人々が壁一枚わずか二間の部屋に住み、復興を待っている姿が痛々しい。しかしボランティアの協力や住民同士がお互い協力し合って明るく生活していることがかえって胸にしみる。

「故郷」を歌った時、

涙をふく姿が印象的であった。

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釜石市小白沢仮設住宅集会所前

 

11月30日、

二日間お世話になった「まごころネット」ボランティアセンターにお別れをして、遠野市サポートセンター「絆」を訪問。

「絆」の仮設住宅は、木造つくりで趣のある住宅であった。しかし、壁一枚の住宅であり、皆さん不自由な生活を強いられているのには変わりがない。

施設もしっかりしており、本当に演奏しやすい場所を提供していただいた。

おかげで気持ち良く演奏もでき、皆さんも楽しみながら歌っていただいたことはこちらも逆に気持ちが癒される思いもした。

今回訪れた施設では参加者は少なく、参加された人々に対し、どれだけの喜びを与えられたか、どれだけ人に元気を与えられたか疑問ではあるが、今回の歌声講演ををおもいだし少しでも今回歌った歌を口ずさんでいただければ幸いと思う。

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平成24年、今回のボランティアで感じたこと

被災地にボランティア活動をして感じたことは、私たちは初冬のボランティアは少ないと思ってこの時期を選んだが実際はいまだに全国から駆け付けるボランティアの人々が多くいて、その大変さをこの目で見、聞き及んだことは大変な収穫になったこと。国や地方自治体が行わなくてはいけない公共施設の整備、美化運動。山野の伐採など多種多様に活動がなされ、募集もしていないのに、遠方から来られる方も(北九州)集まり、東北の寒空を日夜無報酬で働いている姿は、本当に頭が下がる思いがした。日本の行政は復興について計画など何も明かされず被災した人々は置き去りにされたまま、ボランティアに参加する人たちを当たり前のように働かせているそんな行政のやり方に憤りを感じる。(ただ、やたらと道路がのびていた反面、鉄道、住宅地は全く手つかずのまま?)

毎朝ボランティアに出かけるバスを見送り、「いってらっしゃい!」の声が忘れられない。

ミーティングで「まだまだ復興には程遠い」と、帰ったら伝えてほしいと訴えていた言葉も心に残った。

まだまだボランティアの活動は続く、それほど東日本大地震は大きな被害をもたらしたことを私たちは風化せず何とか力を貸してあげるべきだと痛切に感じた。私たちは少ない日程の中どれだけの事が出来たのか、これでよかったのだろうかなど疑問を残しながら後ろ髪が引かれる思いで岩手の街を後にした。

 

東日本大震災・被災者慰問 その1 事前視察

東日本大震災で多大な被害に遭遇した方たちには心よりお見舞い申し上げます。

1年と半年、被災地では、市民の必死の活動により、復旧活動が続けられていますが、いまだかつて地域の生活、発展にはいたっておりません。国としての目立った対策もないまま、また、私たちの寄付金についてもその使い道などどこへ行ったか分からないような政策に強い憤りを感じます。このまま、いつものように、忘れ去られていくことのないよう、国民はしっかりと見ていかなければならないと思います。

スタッフ「「まきば」は健やかフィールドまきば会として、来月末被災者の慰問を目的に歌声ボランティアで岩手に参ります。             9月の初めにまず自転車を担ぎ、当地を訪れ「遠野まごころネット」/遠野希望の郷「絆」サポートセンターを訪問し、こちらの意向を伝えてまいりました。9月というのに東北でも、うだる様な暑さ、そして何より距離があり、一つ一つ行くのも汗だく。特に気仙沼から陸前高田に行く鉄道がないため、持ち前の自転車で走らなければなりません。

自転車で見る光景は、ただの「荒れ野」。しかし地面には確かに存在していた家の土台が草に埋もれてある。線路はまるで田んぼのあぜ道。

仮設住宅は、さまざまで一様化されておらず、熱いだろう屋根の下で、お年寄りのご婦人たちが、ひっそりと暮らしているようでした。

有名人のイベントはたくさんあるようですが、お年寄りたちはこのようなところから、なかなか出向いて行かれない状況がはっきりとわかりました。このような所こそ、本当の慰問する意味があるのではなかろうかと痛切に思いました。022.JPG048.JPG

乗鞍紀行

026 (500x333).jpg平成24年5月7日、日本全国、大型連休が終わり、行楽地もひと段落したところを狙って、水芭蕉を探しに、信濃路へ赴くことにした。

水芭蕉=尾瀬ではない、水芭蕉が鬼無里にあるという。鬼無里のもっと山奥、奥裾花自然花園だ。

早朝5時に川崎を出発し、サービスエリアだけの休憩で、現地の到着したのが、お昼を回るころ。遠くへ来たものだ。

自然花園は、まだ雪で覆われて、雪道を15分ほど歩いた林の中にあった。そこに、群生するにはまだ少し早い、水芭蕉が水辺にその姿を見ることができた。まだ3分咲きと地元の方が話していた。最盛期には、日本一の規模をほ来るそうだ。

2時間ほど、見物し長野道を通り、松本から乗鞍へ向かう。宿の到着が5時。

山の宿で、民宿のようだがお風呂が良い。宿のオーナーが手作りしたという、木造のの露天風呂。白い濁り湯が、体にやさしい。

少し寝る目だが、かけ流し、源泉をボイラーで沸かしたくないためそうだ。

行く実、乗鞍高原のほうへ、足を延ばす。車で5分ほどのところにある一之瀬園地は、これも水芭蕉の宝庫であった。特にまいけの池は、水芭蕉を水面にたたえ、水面に映る乗鞍岳の雄姿は、素晴らしいものであった。

一之瀬園地はこのほかにも、女小屋の池まで、小一時間の散策ができるので、楽しい。もちろん水芭蕉の鑑賞には絶好の場所だ。

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